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弓削神社の紹介
弓削神社御由緒略記弓削神社の紹介のPDF版
鎮座地 大阪府八尾市弓削町1丁目36番地
          (JR大和路線志紀駅から南西約300m徒歩3分)
社域 400坪
建造物 本殿、拝殿、神楽殿、宝物殿、神輿太鼓庫、明治天皇遥拝所、菅原神社、琴平神社、稲荷神社、
         猿田彦神社、社務所、鳥居、狛犬、水舎、由来碑、社標、明名水

本殿

拝殿

御神楽殿

宝物殿

社務所

明名水

明治天皇遥拝所

本殿の横の風景
御祭礼  1月1日・・・・・・・歳旦祭
 2月17日・・・・・・祈年祭祈年祭
 7月最終土日・・夏祭(神輿渡御式)
 10月8・9日・・・・秋祭(例祭)
 11月23日・・・・・新穀感謝祭

その他
 1月14日・・・・・・左義長とんど
(とんど焼きは成人式前日の日曜日に行います。)

 2月3日・・・・・・・節分の日・節分祭
 4月午の日・・・・稲荷祭
 11月15日・・・・・七五三詣り
祭神 饒速日命(にぎはやびのみこと)
可美麻冶命(うましまじのみこと)
天照大神(あまてらすおおかみ)


   
天照大神は我が国の始祖と仰がれ給い、紀伊国五十鈴の川上に鎮座し給う。
饒速日命は天神で天璽を奉じて天磐舟に乗りこの国に降り給う。
可美麻冶命は饒速日命の御子である。
饒速日命は神武天皇御東征前に既に大和河内地方を治めて御東征に偉勲をたて、御子可美麻冶命と共に朝廷に仕えて功績をたて、その功績により子孫に物部氏の姓を賜り、この地方一帯に勢力を張り、守屋の頃には富強をきわめた。
一族弓削氏はこの地に栄えて祖神を尊崇して祀ったのが当神社である。
弓削の道鏡はこの弓削の一族である。
御祭神については大阪府神社史料弓削神社の條河内誌に「比古佐白布都命」大阪府全誌に「一に布都大明神」とも呼び、大阪府市蹟名所天然記念物の渡会氏神名帳考証に「弥加布都命、比古佐白布都命」特撰神名牒には「高魂命、天日鷲命」とあり神社要録、大日本史神祗志、地理志科等には「弓削宿祢神か或は弓削祢祖廟也」とあって諸説があるが、弓削宿祢は物部連の族であるから物部氏の祖神である饒速日命可美麻冶命を御祭神として奉斎し、二俣に鎮座の天照大神を合祀して三柱を御祭神と奉斎申しあげている。
由来碑 当社は今を去る千余余年前に物部氏がこの地に繁栄してその祖神を祀り創建せられ、延喜式内の古社として上下の尊崇あつく、特に延命長寿の神として名高い。
大阪府神社資料弓削神社の條の河内誌、大阪府全誌、大阪府蹟名所天然記念物によると清和天皇貞観元年正月授従五位上とあり、又同上河内誌、大阪府全誌、大阪府蹟名所天然記念物によると醍醐天皇の延喜の制に於て延喜式内社に列し、並大月並、相嘗、新嘗に予り朝廷から幣帛を共進せられていた。
その後世の変遷時の流れに従い消長があたが、明治五年村社となり、大正三年幣帛共進社に指定せられ、八尾市二俣に鎮座の天照大神を合祀し、昭和二十七年宗教法人弓削神社をして神社庁に属している。境内には昔から延命の水と言う冷泉があり、
この水を口にすれが長命すると言い伝えられている。
遷宮祭(正遷宮) 二十五年目毎に行う。神殿、建築物の修理、境内の設備を行い、神殿のよそほいを新たにして霊代を遷し奉り、全氏子を挙げて一大行事を行い、神滅を発揚げすると共に、日夜賜る恩頼を感謝して繁栄を寿げ、砂持神事を始め種々の記念行事を行う。






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